下石町、やきものの歴史

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このサイトは、郷土歴史研究家、桃井勝氏の著述他工組出版物の概要をまとめたページです。

いずれの事業や展示も桃井先生他、下石町の皆さまのご尽力により開催、発行されたものです。

下石窯800年のあゆみ

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"下石窯800年のあゆみ" 展示  平成16年8月8日~11月30日

下石窯創業以前のやきもの
窯洞窯(山茶碗、窖窯)
西山2号窯(山茶碗、古瀬戸、窖窯)
石田窯(陶器、登窯)
桜ヶ根(陶器、炻器、磁器、大窯登窯)
燗徳利(染付、摺絵、銅版、磁器、登窯)

下石町の窯業はいつどこで始まり、どのようにあゆんできたのか
この課題に取り組み下石窯業史を解明する展示を土岐市教育委員会、印版館、下石町の方々他さまざまのご協力、ご支援をいただき、資料提供を受け冊子を作り、展示開催しました。

下石の窯のすべてではありませんが、発掘された窯、文献、資料が保存されている窯の製品を展示しました。
美濃窯1300年の歴史に対して、下石町は創業が遅れています。須恵器と白瓷を焼成した窯が発見されておりません。これは歴史と地理条件によるものと思われます。
鎌倉時代に始まる山茶碗、古瀬戸の窖窯、桃山陶の大窯、織部から、御深井、炻器、磁器を焼成した登り窯が、下石の窯です。
窯捌では鎌倉期の窯洞窯、西山2号線、室町期の石田窯、江戸中期の清水窯のやきものにより、下石窯800年のあゆみと窯の発見されていないやきものをご覧いただきたいという思いの展示でした。

≪以降、登り窯について追記≫

登り窯 最多は昭和25年頃
(窯体、燃料の多種多様時代)

下石の登り窯は江戸時代初期から昭和48年まで稼働した窯体である。
規模は江戸時代は小型であったが、明治30年頃から大型化した。(窯間の奥行より横に広がる胴木の間より上りの間に徐々に左右に広がっている。昭和にさらに奥行と横幅が広がって大型化した。窯の奥行、横幅は棚板の大きさで決められた。
下石の登り窯は棚板で棚を作り、天地の高さと調整した窯に特徴がある。
丈の違う焼物を焼成するよう工夫されている。
(登り窯の棚板焼成は下石、高田、下石焼物の種類からである。焼成品種の多いこと大きさがまちまちから)
登り窯は近世と近代で大きく機能が変化した。陶器窯から磁器窯へ、酸化焼成から還元焼成へ。燃料は江戸時代は町内だけでは確保できなくて、曽木など周辺から買い入れしていた。昭和13年頃、燃料不足となり登り窯が焼成できなくなり、下石に移住したよそ者の力により公岳山麓から大量の森林が下石駅におろされて危機を脱した。
戦時中は燃料は配給であったが戦後まもなく、石炭不足で下石より採掘に九州に人を送ったが入荷が少なく、石炭窯から薪の登り窯に転じたため昭和35年に登り窯が多くなった。
その後減少し、昭和48年阿庄の登り窯稼働が最後となり登り窯から 窯に変化し、石炭窯、重油窯、ガス窯、電気窯へ変化した。
昭和の年代は窯体も燃料もすべてを使用した時期である。窯業の近代化が急激に進んだ

下石窯800年
下石町誌 資料編6
ろくろの里
土岐市地誌  より

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