下石町、やきものの歴史

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このサイトは、郷土歴史研究家、桃井勝氏の著述他工組出版物の概要をまとめたページです。

いずれの事業や展示も桃井先生他、下石町の皆さまのご尽力により開催、発行されたものです。

美濃下石燗徳利展

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美濃下石燗徳利展として  平成18年12月10日~19年3月25日開催             

         酒の燗つけ方法の歩み
1.銚子使用期

酒を温めることを酒の燗をするといいます。酒の燗をするのに古くは蔓のついた金属製の鍋型の木の蓋付の燗鍋を使用していました。
江戸期に「ちろり」「たんぽ」と呼ばれる酒を温める銅または真鍮製の容器に酒を入れて燗鍋で湯燗するようになりました。「ちろり」は現在も飲食店などで利用している筒形で下のほうがややすぼみ注口及び把手があるもので、温めてから銚子に移し宴に用いるようになりました。
湯燗による燗酒の出現は、元禄期に清酒の醸造が営業化できる技術の開発されたことによると思われます。
 酒は清酒・濁酒・甘酒・白酒・煉酒・焼酎・味醂・果実酒など多様で、冷酒と燗酒が一般化しました。燗酒は湯燗によって酒の味がよくなったと思われます。

 2.徳利使用期

宴会で酒を盃に注ぐ容器は、銚子が正式の器としていましたが幕末に江戸で宴会に略式として、銚子のかわりに徳利を用いるようになりました。徳利に酒を入れて燗鍋で湯燗して徳利で盃に注ぐようになりました。これが燗徳利の初現です。下石窯は幕末に磁器の製造が導入されて急速に磁器製造に転じました。磁器はほとんど水溶液の浸透をとめられる質の高い器となりました。明治になり、酒造業、酒小売店も多くなり、酒のはかり売りにより、買入れしやすなりました。店では貸徳利の需要が多くなりました。手軽に燗付のできる徳利の需要が増加し、いろりの脇にある鉄瓶の湯の中に徳利を入れて湯燗することが一般的になっていきました。

下石の窯業は業者、従業員も増加し、増産されて、明治初年には美濃は日本一の生産地になりました。産業革命が窯業界にも入ってきましたが、徳利は手轆轤による製造でしたろくろの里ともいわれる轆轤師が多くいた下石の特産として徳利の生産で有名になりました。
下石徳利は燗徳利として全国に販売されていきました。明治20年代、京都府丹波に明治30年代に新潟県に、大正末年に東北地方にとやきものを普及させたことに貢献しました。

○明治の徳利  大きさがさまざま(3合、2合半、2合、1合半、1合、5勺)、素ハマ底(高台なし)で摺絵、銅版、染付で絵付した本二合燗徳利 の形が多いです。

○大正    徳利に高台がつき色絵(上絵付)、染付など器面が美しくなり、形状も多様化します。

○昭和   画工による染付が多くなり、徳利の形は多くなります。大きさは一合、二合ですが実際は八勺、七勺など小さい徳利が多くなりました。轆轤成形(手づくり)といこみ成形(型づくり)になりました。

明治、大正、昭和と燗徳利は変化しています。特に営業用の徳利が多くなっています

もう少し拡大してご覧になる場合はコチラ
窯元館 燗徳利 18