下石町、やきものの歴史

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このサイトは、郷土歴史研究家、桃井勝氏の著述他工組出版物の概要をまとめたページです。

いずれの事業や展示も桃井先生他、下石町の皆さまのご尽力により開催、発行されたものです。

尾張犬山焼、美濃下石焼 徳利展

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尾張犬山焼、美濃下石焼 徳利展として平成18年8月1日~11月26日開催  
 
可児市塩河343 まちかど美術館・博物館「犬山焼徳利盃館」土田晃司氏のご厚意により燗徳利の日本一を誇る生産地、下石徳利と犬山焼の徳利の比較展示を計画しました

 犬山焼(1800点の内124点)、下石焼(3000点の内113点)とも館蔵品の一部です。製造の時代、やきものの種類(陶器・炻器・磁器)釉薬、絵付けなど原料を含む条件が異なりますので細、厳密な比較はできません。
    
徳利について

①徳利とは

文献等によると、徳利は口がすぼみ、胴の膨らんだ陶磁器の容器のことです。呼称は「とくり」で「得利・徳裏」など様々な文字でしたが、現在は「徳利」の文字となり「とっくり」となっています。徳利の生産が開始された頃は、酒・醤油・酢・油など水溶液の貯蔵や運搬の容器でしたが、種などの貯蔵など用途は多様となっていたようです。江戸時代の元禄期に清酒が造られるようになり、燗酒を飲むようになると燗徳利が生まれました。神の祭祀の供物の酒のいれものが平子から御神酒徳利になるなど時代と共に変化しています。

 祭祀用、御神酒徳利(冷酒)、燗徳利(燗酒)、酒屋が酒の計り売りに貸し出した運搬、保存などの通い徳利(冷酒)が近代の徳利の用途でした。昭和の戦争中に酒の計り売りが禁止されたので、今日では燗徳利が主で、酒専業の容器となっています                                     

②徳利の産地

 徳利が日常生活の道具として、一般庶民も使用するようになり、各地の窯で生産されるようになりました。生産地を冠に徳利が生まれました。


     下石徳利(土岐市下石町) 高田徳利(多治見市高田町小名田町)
     久尻徳利(土岐市泉町)  犬山徳利(犬山市)
     尾呂徳利(瀬戸市)    備前徳利(備前市)
②釉薬、絵付、辞時代等からの名称 
     鉄釉、灰釉流し徳利
     御深井釉、錆釉掛け分け摺絵徳利
     灰釉流し徳利
     飴釉徳利
     錆釉、灰釉掛け分け瓢箪形徳利
     錆釉、灰釉流し瓢箪形徳利
     漆黒釉灰釉流し瓢箪形鎧徳利
     漆黒釉瓢箪形徳利
     漆黒釉、灰釉流し瓢箪形徳利
     漆黒釉、灰釉流し徳利
     漆黒釉徳利
     錆釉布袋徳利
     錆釉徳利
     錆釉 大黒徳利
     灰釉、胴緑釉流し徳利
     灰釉徳利
     灰釉染付徳利
     炻器染付徳利
磁器の徳利は染付、摺絵、銅版、釉下彩・盛上・上絵(赤絵・色絵・銅版・金)などがあります。 (瑞浪陶磁資料館、下石館蔵品より)

④用途・形状

   肩張徳利    銅版徳利  尾張徳利  寸胴徳利  三角徳利

   四角徳利    瓢箪徳利  えへん徳利  頸徳利

   独楽徳利    蝋燭徳利  鳶口徳利  傘徳利   柑子口徳利

   浮き徳利    鳶徳利   鳩徳利   鴨徳利   芋徳利

   らっきょう徳利 蕉徳利   船徳利   へそ徳利  ひげ徳利

   蓋付徳利    油徳利   お預け徳利  貧乏徳利  通い徳利

錆釉とは
鉄釉の一種である。江戸時代後期(1800年以降)に焼かれた錆釉陶器に始まる。
安土桃山期の天目、瀬戸黒、江戸中期(1670年頃)、鉄釉を使って茶褐色や黄褐色をした光沢のよい焼物が焼成され、飴釉陶器と呼ばれる(飴釉碗など)
1750年頃、黒色をした焼物を漆黒釉陶器と呼び、この陶器(碗、皿、小鉢、拳骨茶碗など)
生産された。
灰釉と鉄釉の塗り分けされた焼物が流行した。これを鎧手と呼んだ(鎧手徳利など)
錆釉陶器は備前の陶器を写して美濃でやき始めたもの。光沢はなく、釉調は他の鉄釉より地味である。
天目、瀬戸黒、飴釉、漆黒釉、鎧手、錆釉は鉄に長石、紅柄、鬼板、陶土、木灰、カオリン、土灰、藁灰など混入して製造された釉薬で、その混入の種類と量などの違いにより、また焼成の焔(ほのお)酸化焼成、還元焼成によって、さまざまな釉調を生じたものである。
美濃の鉄錆釉の発色は、赤土を使ったのではないか、近くに大量にあり、採掘用意で簡単であったが、他の釉調にくらべ雑である感はある。
一面備前焼らしく、素朴な感じの陶器でもある

瑞浪陶磁資料館 美濃のやきもの展示解説 平成8年より



 尾張 犬山焼
国宝犬山城のある犬山市今井字宮ヶ原に開窯しました。
開窯期は元禄年間(1688~1703)と宝暦年間(1751~1761)の二説がありますが、製品から見ると宝暦年間と言われています。陶器で日用品の生産が主でありましたが、安永年間(1772~1781)頃廃業しました。
文化7年(1810)、犬山城下丸山の知に開窯した丸山窯は、初期に御庭焼と称して、茶器類を焼きましたが、その後京都粟田口の陶工を招請し、粟田風の陶器を焼きました。
文政9年(1826)瀬戸系技術を導入し、磁器の製造を始めました。陶器窯と磁器窯が出現しました。
天保初年(1830~1843)に、犬山城主成瀬正寿が窯業保護奨励して、名古屋市守山区志段味から陶工を招き、また名古屋から陶画工道平を招き、窯業振興に務めました。天保4年(1833)赤絵付が始まり天保6年(1835)道平の参加により彼を中心に呉須赤絵、道八風雲錦手が焼成されるようになりました。天保後半犬山焼は最盛期となり、京都尾形乾山の風を倣い、俗に犬山乾山の名高くなりました。
嘉永年間(1848~1853)の始め、瀬戸塐僊堂川本治兵衛も参加して、染付磁器を焼成しました。明治6年(1873)廃業致しました。
その後、尾崎作十郎らが継承し、曲折を経たが今日まで続いています。
犬山焼は、赤絵、色絵(雲錦手)染付、銹釉、緑釉流を基本に、色による華やかな美を求めた重厚で親しみやすい絵付けをした焼物が伝統を継承してきました。
徳利に絵付けしたデザインの多様さ、形状を変化させながら歩み続けた職人たちの歩みを作品を通して見ていただきたいと思います。                 
犬山焼年表
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犬山焼徳利盃館ホームページへ 
 
美濃下石焼
 創業800年と古い歴史がある窯業地で、山茶碗の生産に始まり、その後たびたびやきものを変え、窯体構造を変えながら綿々と創業してきました。近世初頭から、各種の徳利を生産してきましたが、今回の展示の最古は江戸中期、灰釉染付徳利でありますやきものが変われば、窯も変わりました。新製品、新窯に取り組むことは努力と苦労が多かったと思いますが、先人は「美濃焼の窯体構造」(多治見市、土岐市、瑞浪市、瀬戸市の発掘調査報告書、春日井市シンポジウム資料等より編集)に記されたように、多種の窯と共にやきものづくりに取り組んでまいりました下石のやきものは、幕末に新製(炻器)そして、磁器が導入され、中世以来求めてきました白いやきもの生産に成功しました。「染付」として需要が多くなり、消費者の求めるやきものを供給できる喜びは大きかったと思います。陶器から磁器生産に急速に転向し、生産量は急激に増加しました。下石窯業史の一番大きな変化でした。原料が土(粘土)から石質原料(石粉)になり、窯も磁器の窯に構造や機能を高めました。陶土に恵まれて手轆轤による成形技術が伝統的に継承され「ろくろの里」と呼ばれるほどでした。手轆轤しかできない徳利・壷・急須・土瓶・花瓶・箸立・仏器などを主に生産してきました。各村のは産業近代化が進められ石膏型、機械轆轤など窯業機械が導入されましたが、機械化が急速に進まなくて、手轆轤成形から、鋳込成形が主流になったのは昭和だと言われます。手轆轤工と共に画工も育成されて染付による絵付が主流でした。
下石の地形など自然環境から登窯による棚詰焼成が高田と共に続けられ、やきものの高さ、大きさのまちまちの焼成に適した焼成方法を生み出し、登り窯が多く、登り窯焼成の最後の町となりました。明治中期に妻木の水野勘兵衛が薄手な磁器のコーヒー碗の焼成に成功し、また山呉須からコバルトに絵付の原料が変わり、登り窯も巨大化し、生産が増加となりました。明治以降、宴会の流行、燗をつけて飲む習慣の普及と共に燗徳利の需要が増加しました。下石のやきものが使う人の要求を受け大きく伸びました。               
生産量が増加と戦争などにより需要にかげりが出て不況にたびたびなり、安定して操業をめざした同業組合の専制権設定により下石は徳利の専制権を得た業者が多くなり、一大生産地となりました。明治32年9月の多治見陶磁器商業組合の「荷造賃金改正早見一覧表」によるとした下石は燗徳利の種類・量とも下石が全国有数となりました。徳利の形はさまざまで、燗徳利の基本形は別図のとおりです。機能も工夫されたものが出現しています。絵付は染付、摺絵、銅版、上絵などがありますが、呉須による染付けが主で、清潔で機能を重視し、人にやさしい徳利を今日まで生産してまいりました。
 
拡大はコチラ
窯元館犬山焼s

kantokkurikihon.jpg
徳利色々

doubankiku.jpg willowpat.jpg
    銅版菊花鳶口燗三合徳利                銅版ウイローラッパー型一合 徳利
     下石 明治前期 16×4.0×6.7              下石  昭和 14.0×3.8×4.5
      5.2dl すはま底(無高台)                     1dl
suisen.jpg tikusen.jpg
    染付水仙図ラッパ型燗一合徳利               白黄竹竹泉燗一合徳利
    下石 昭和 11.8×2.3×4.1 1.8dl             下石 昭和 13.0×4.2×5.6